2016年01月14日

悪魔がうごめ

日本語のタイトルが醸し出すような断定的な表現とは意趣を異にしている。
このタイトルのお陰か、日本ではこの種の本としては爆発的な売り上げを記録した。
絶版になって久しいが古書店に時々並べられているのを見る。
作者は、ジェームズ・ボールドウィン。
黒人であり同性愛者でもある。
そういったマイノリティである著者が『怒りの葡萄』『アラビアのロレンス』
『奇妙な果実(ビリーボリディ物語)』から1973年の『エクソシスト』までの
数々の映画に対する自己流の評を掲載しているもの。
切り込んでくるような彼の評が興味深いというところだろう。

「悪魔がうごめいている」というのは、映画ばかりではない。
文学の出発もそのようなところがある。
16世紀のスペインに始まったピカレスク小説、一般的に「悪漢小説」などと呼ばれている。
ちょいワルが出てきて、様々なことを仕組んで物語が展開していく。
突き詰めていけば、社会風刺でもある。
それがフランスに伝わり、モリエールが喜劇仕立てに変えてしまったりした。
常識のある慎ましやかな人ばかりでは、物語そのものに進展がない。
モリエールの笑いは「行き過ぎを笑う」というのが基本。
『守銭奴』などは、ケチなオヤジが出てきて、度をこしたケチぶりを演じる。
『タルチェフ』は悪徳宗教家と狂信的な夫人を扱ったもの。
『才女気取り』は上品になろうと努めて、極端な行動に出る娘を描いたもの。
行き過ぎが笑いとなり、
さらにそれが進み鬼気迫るほどになるものは恐怖となる。

『悪魔が映画を作った』に収められている映画『エクソシスト』評で、
ボールドウィンは、「この映画の最も恐ろしいところは、
心なきヒステリックな凡庸さだ」と表現している。
それは、「度をこしたヒステリックな世界」と言えそうだ。
posted by lisehwant at 11:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月02日

汚い言葉はね

 ……偶然は 必然となる……

 と、感じるのです。 
 この間、友人のひとりが、コロッケさんが、「あおいくま」 という言
葉を教えてくださったと言っておられ、「なに なに、私は、本で続ん
だわよ。 でも 「おいあくま」 だったわ」 ……。 うーん。いいね。
でも、やはり、覚えやすいのは「あおいくま」 ね。 でも順の言葉は、
「おいあくま」 がいいかぁ。 ひとりごとです。
 どっちでもいいかぁ。 でもいいですよね。 コロッケさん、素敵ね。

  あ……あせるな       お……おこるな
  お……おこるな       い……いばるな
  い……いばるな       あ……あせるな
  く……くさるな        く…… くさるな許智政
  ま……まけるな       ま……まけるな

 もしわたしなら 是はいかがかしら?
 「あいうえお」  「あいおうえ」
 
  あ……あいし         
  い……いつくしみ      
  う……うれしい           
  え……えがお           
  お……おかげさま         

 にしたらいいかなぁ? うっふふ。 楽しいね。
 なんでもが、こうして「自分の言葉」をつくったら、いいかも。

☆ホントなんだから 咀嚼っていいよ☆

  口にする言葉ってね
  いい言葉だけを、口にしたいね許智政
  酷い言葉や 汚い言葉はね
  口から出さない 食べてしまう

  だって 必ず 自分にかえってくるから
  そして 自分のまわりにも ふりかかるから
  口から 出さない
  食べて 咀嚼するがいいなぁ
 
  咀嚼する 咀嚼がいい
  どうしても いいたい ならば
  咀嚼してから そうしてからがいい
  腹立てたことが ふと馬鹿げてたと思うよ
 
  きっと 思えてくるよ
  ホント なんだから 
  なんでも いい考えが浮かんでくる
  それが いい道を 歩く 秘訣よ 許智政
posted by lisehwant at 10:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月30日

忘れちゃったわ。

無駄などない 多くの失敗やら 経験から
 多くの人ら 助けられ 教えられ 育てられた
 温かいお心に おかげさまなんだなぁ
 いまがあるのは みんなからの愛 おかげさま

 さあて 今からは 極楽への道の
 お掃除しないと あの世とやらへの
 道をいくためには 心のお掃除しなくちゃぁ
 ゆっくりと 落ち着いて 考えつつ
 堂々と その道を 探しつつ いこう

 あらゆろ すべてに ありがとう おかげさま とし
---------------------------------------------------------
葉隠
                          本田有明 著

 ● 謝るときに心がけること 
 「謝るときが晴れ舞台」、ある先輩から、こんな言葉をいただいた。
 かって出版部門の責任者をしていたとき、一年のあいだに二度も
著作権侵害事件が起こった。 非は他人の著作を無断引用した筆
者にあるとはいえ、出版側にも連帯責任が生じる。
 先方は烈火のごとく怒っており、私は 「また謝りにゆくのか」 と
溜息をついた。 出掛ける前に、知り合いの事務所に寄った。 あれ
これグチめいたことをしゃべったわけだが、聞き終わると彼は、にこ
やかな顔で言った。

「謝るときが晴れ舞台ですよ。 本田さん、すっきりと謝っていらっし
ゃい」 

 さわやかな風に吹かれたような心地がした。 そのひと言で、頭に
かかっていたモヤモヤが嘘のように晴れた。 人から聞いた言葉が
これほど深く心に響いたことはなかった許智政
 喝采を浴びるときだけが晴れ舞台ではない。 人の怒りを気持ち
よく拭うことができたなら、それだって晴れ舞台といえるかもしれな
い。 少なくともそう思って場に臨めば、相手に誠意が伝わる言葉と
態度で、率直に謝れるのではないあか。
 こちらが謝ろうとしているとき、先方はこちらの一挙手一投足を注
意深く見つめている。 火に油を注ぐような言動をすれば大変な事
態になるが、きれいに謝ることができれば、逆によい印象をもって
もらえる。 切迫した場面だからこそ、その印象は強く記憶に残り、
色あせることがない。
 
 「禍福は糾える縄の如し」 という。 人間で謝罪しなければなら
なくなったときは、いまから晴れ舞台にのぼるのだと思えばよい公司註冊
 心臓の鼓動は高まり、手に汗を握るが、きっぱりとした覚悟が腹
から生まれてくるものだ。

 ほんとうに申し訳ないと思うなら、大きな声で、心から謝ること。
 誠意をもって謝罪すれば、思いは必ず相手に通じる。 その場で
はなお責めを受けても大丈夫、評価は前よりも確実に上がっている
はずだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 どっちを向いても、私も 謝ることがいっぱいだったかしら? 勝手な
もんで、ついつい すべて、老いとはありがたい。 忘れちゃったわ。
 忘れるという、素晴らしい特技があり、「ボケましてすみません」
 困ったもんで、ありがたいかもね。 うっふふ。 なんです。

 でもこれからは 「謝るときが晴れ舞台」 忘れないでいたい。

  短歌

     知らず識らずに脳も身体もすっかり老いて鈍くなるを知るなり

  俳句

    月見れば亡父母思い手を合わす秋許智政

  川柳
posted by lisehwant at 18:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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